釜石へ、田野畑の記憶とともに

明日、縁あって釜石へまいります。プロジェクトの仲間は何度も訪れていますが、私にとっては初めての釜石。唐丹(とうに)という地区に伺うそうです。

楽しみだったので少し調べてしまいました。すると、プロジェクトがずっとお世話になっている田野畑村の歴史である、三閉伊一揆と大きなかかわりがあるような。1853年に起こった最大の一揆が南部領から伊達領へ国境を越えたちょうどそこが、伊達領側の境にあった唐丹村だったそうです。唐丹の村人が資源持ち出しで炊き出しをして田野畑の民を労ったり、盛巌寺という唐丹のお寺で伊達家への願文が書かれたり。そうした地域の人びとの生き方を大きく変えようとした歴史と私たちの足跡が重なっていることを知るのはこの上ない喜びだったりします。

一揆のことを教えてくれたのは、村の郷土資料館にお勤めだった藤森さんでした。なんのツテも、縁もゆかりもない飛び込みの風来坊でしかなかった僕たちをなぜか気に入ってくれて、宝福寺の岩見ヒサさん(故人)に引き合わせてくれたのが藤森さんです。この方がいなかったら、僕たちの田野畑村との出会いはなかったといっても過言ではありません。

当時からちょっと物事をかじって知った気になり、いい気になっていたバカモノだった私は、田野畑村を偶然通りがかるまで三閉伊一揆の歴史そのものすら知らなかった自分をいまでもよく恥じるのですが、ひとつ教えていただいたことを頼りに土地を歩くと、また違う教えに出会わせて頂けそうな気がしています。

土地を歩いて新しい教えに出会えることによって、ちっぽけな自分がすこしは成長できるような気がしてくる、というのも桜onプロジェクトの醍醐味のひとつなんだろうなと思います。その御礼もこめて、とてもご無沙汰してしまっている藤森さんに、手紙を書いてみました。釜石の消印で投函したら、驚かれるでしょうか。