未来への扉

未来への扉

先週の日曜日、養老渓谷でとある温泉に入りました。露天風呂へ出ようと内湯からカラリと引き戸を開けると、渓谷の新緑を覆い隠さんとばかりに満開の桜が眼前に現れました。ものすごい迫力です。しばし全裸で立ち尽くしていると、ふつうに服を着たおじさんがなにやら写真を撮っています。こちらは全裸です。

思わず訝しんでいるとそのおじさんは「あぁ、お兄さんごめんなさいね。いやでも嬉しくてね。ここまでくるのに20年だよ。植えてから20年!」とおっしゃる。全裸の僕でしたが、実はこの場所の主人であったおじさんと10年単位の長い時間を掛けてなにかをすることの意義のような話で、その後しばらく盛り上がったのでした。

この5年の間、「長い時間を掛けることの価値」を敢えて追究してきました。10年、20年、50年と長い時間を掛けて樹木が成長するとともに、土地に暮らす人びとの生き方もおおよそ変わっていきます。つまりその場所の「風景」が変わっていきます。時間はときとしてコストではなく、意義のある変化を遂げるために必要な尺度に違いない。そう思うようになりました。

要はその過程で何が起こるのか、何を起こすのか、ということのほうが重要だったりするし、実はこの長い時間を掛けた「風景」の変化を、その土地に生きる人たちと一緒に楽しむためのプログラミングを僕たちはしてきたんじゃないかと、この5年を振り返ったいま、ふつふつと感じています。言い方をかえれば、かつてその場所にはいなかった自分が、その「風景」の一部になれたかもしれないと思えることが、この楽しみが湧き起こってくる源泉にあるのでしょう。だから「風景」が変わるということは、僕たち自身も変わっていくということなんだろうと。

いまから5年経つと、あれから10年です。次の5年に何が起こるのか。その次の5年は。そしてやがて20年、30年。必ず時は進みます。時が経つにつれて、楽しみが増していく。僕たちはそんな未来への扉を5年前に開けたのです。