津波に飲み込まれた もう桜なんて見ることがないとおもったあの時 そして今、僕は…

津波に飲み込まれた もう桜なんて見ることがないとおもったあの時 そして今、僕は…

「未来はまだ決まっていない。すなわち、未来は自分で切り開くものだ。」

僕が生まれた1980年代の映画Back To The Future で、過去と未来を行き来するデロリアン号を造った科学者ドクが、主人公のマーティー=マクフライに贈った言葉だ。

5年前、3月12日の朝日ほど待ち遠しい瞬間はなかった。今まであたり前にあったものが全てなくなり、そこから全てが始まるのだとは全く考えすら及ばなかった。恥ずかしながら今を生きることが精一杯だったのだと思う。

生きることはできたが、次にどうすれば良いのかわからず友から友、知り合いから知り合いへと人生で一番数多くの人と出会った時期だった。この時期、震災で廃業する知り合いの工場主から譲っていただいたタラの干物を、自分の手で直に沢山の方に売るという初めての体験が楽しくて忘れられない。いつかは自分で人に喜ばれる旨い食べ物を作ってやろうと、心に決めるきっかけとなった。

そのころに、仙台のあるたこ焼き屋で酒を飲んでいたところで出会ったのが桜onプロジェクトの田中くんであった。桜を植えることに共感してくれる人と場所とを探しているんだと彼は言い、二つ返事でうちに植えたらいいんじゃないかと言ったのをなんとなく覚えている。面白いやりとりだった。

それからの数年はまさしく疾風怒涛の如く過ぎ去った。新しい恋人や友人。寒風沢島とそこに住んでいる、そしてこれから住もうとする島民の方たちとの出会い。そこで植えた桜の木が取り持ってくれた進藤さん、澁澤さん、安田さんをはじめとしたパナソニックの方たちとの縁。渡波の、かつて我が家があった跡には、東京から来てくれた方たちが桜の苗木を植え、「ワタノハノ庭」を創ってくれた。本当に心から毎日が楽しかった、「ありがとう」と。

これから先、5年先の未来はまだ決まってはいない。僕にはデロリアン号は造れないが、やっぱりつくることが好きなので、きっと面白くて旨いものをつくろうと思う。

三国 俊博