ぼんやりなんとなく毎日を暮らしていた僕が変わったんです
30歳を過ぎた頃の僕は、何なのかハッキリしないボンヤリとした不安を感じながら毎日を過ごしていました。
だからといって何が不安なのかを具体的に考える訳でもなく、 「今の自分ってこれでいいのか?」 そんなことばかり繰り返し思いながら日々を過ごしていました。
今これを書いている僕にも、仕事や日常の些細な出来事の中に挙げればきりのない不安はたくさんあります。
ただ、数年前と違う視界良好な自分がここにいます。
今と何が違うのか。
それは、「桜onプロジェクト」メンバーであること。
仲間に加わって経験してきた毎日があることが大きな違いであることに間違いありません。
4年前、前述のボンヤリ不安な僕は山手線車内でFacebookを開いていました。すると、その中に旅行会社に勤める僕と同じ名前の友人(大ちゃん)が「こんなツアーやります」と投稿しているのが目に入りました。
そのツアーが「桜on牡鹿半島プロジェクト」でした。
震災から約1年のその頃。震災当日は偶然にも仕事が休みで家の近所にいたため、いつもより大きく揺れはしたものの、テレビで見る凄まじい状況にも実感がわかないまま何か行動する訳でもなくここでもボンヤリ不安を抱きながら過ごしていた頃でした。
今となってはよく分かりますが、あの頃は何も考えていなかったのでしょうねぇ。
不安があってどうしようどうしようと考えているようで実際は「考える」という行為を何もしていないということだと思います。
ただ、何も考えていないがゆえに、復興支援として何ができるのか深く考える訳でもなく、気の合う友人から誘われたそのツアーの「数年後に自分の植えた桜を子供と一緒に訪れ、みんなで花見ができるかも。」という想い。それが僕にとって面白いと感じたからとにかくまずは行ってみた。それが全てであり、少し遅めとはいえ今の僕に至るためのスタートを切った瞬間でした。
そこで出会ったメンバーがなんとも想定外な面白い人達でした。
ツアーから帰って来ても、一緒に何かしたいと思いとにかくやってみました。
するとその中で多くの人と出会うたびにたくさんの考えに触れ、感心したり、感動したり、ムカついたり、困ったり、泣かされたりするなかでいろんなことを考えるようになりました。
そうやって過ごしてきて4年が経ち、僕自身がどんな人なのかよく分かりました。異なる職業を持ち、十人十色の考えを持つ人達の中に僕がいる中で、自身のここが良い子、悪い子、普通の子、みたいな部分がよく分かったのです。
そのおかげで「 考える」ための基礎ができたということでしょうか。
僕はこうだから、こうすればいい、ああすればいい、どうにもならないことはやれることをしっかりやればいいと思うようになりました。不安がいくつあったとしても、課題として認識するようになることで視界良好で進むことができているのだろうと思います。
桜onプロジェクトは、
人を創り
場を創り
風景を創り
未来を創る
物語を介して。。。
4年間で僕という「人」は確かに創られてきたことを実感しています。
場・風景・未来。 引き続き仲間と一緒にどんどん創っていけるようしっかり「考えて」いきたいと思います。
– Daisuke Tasaku –