放浪と、貼り絵と、裸の大将。
「野に咲くぅ~♪花のように~風に吹かれてぇ~♪ 野に咲く花のように~♪ 人を爽やかにして~♪」
「ぼ、ぼ、僕はおにぎりがすきなんだなぁ。こまったらおにぎりをもらうようにおかぁさんにいわれたんだなぁ~」
「裸 の大将放浪記」として1980年から放映されたテレビドラマの主題歌。芦屋雁之助演じる画家・山下清の放浪道中とその口癖を、子供ながらに楽しみに見てい た記憶がある。最近では、ドランクドラゴンの塚地武雅が好演してそちらのほうが記憶に新しい方もいらっしゃるかもしれない。
な んとも日本の古き良き原風景が広がっていたようで少し懐かしくも感じます。一宿のお礼に、清が貼り絵を創り置いていき、彼が去ったあとにその絵で彼が天才 画家・山下清だと出会った人々が気づくというシーンの流れは、なんとも温かく、このドラマの核となるシーンを子供ながらに心待ちにしていたことを思い出し ます。
でも、実際の山下清は旅先では絵をほとんど描いていないということのようです。
清の甥にあたる山下浩さんはこう文中に記しています。
『「放 浪画家」、「裸の大将」と呼ばれた山下清は、テレビドラマの影響で絵を描きながら放浪をしていたと思われるが、実際は旅先でほとんど絵を描いていない。旅 先で見た風物を自分の心に焼き付け、数か月間、時には数年間の放浪生活から帰宅した後、驚異的な記憶力により自分のイメージとして再現していたのである。 しかも、山下清の心のフィルターを通したイメージは、実物の風物より色鮮やかな画像となり、それが独特の貼り絵となっていたのである。』
清は、障害を持ちながらもある一定の能力が驚異的に突出しているサヴァン症候群(映画・レインマンでダスティン・ホフマン演じるレイモンドもこの設定)であったという説もあるらしいが、いずれにせよ、旅から一定の時間を置いて、あのすばらしい貼り絵を創出したという事実には変わりがないようです。
僕が、特に強く興味をそそられたのはこの“旅からの一定の時間を置く”というところだったりします。
ひょとすると特殊な能力だったのかもしれないけれど、そんな能力という以上に、実際の風物よりも色鮮やかな見事な作品として完結させるまでの山下清の心のフィルターを通る時間が、清と彼の作品にとって不可欠なそんな時間だったのだと感じます。
近頃、レバレッジやら、効率化、合理化ノウハウ本の類が書店に余すところなくならんでいるのを眺めると、誰が阿呆の一つ覚えのようにこのとおりのノウハウをそのまま実践しようとするのだろうか、とほとんどうんざりもします。
効果を出すための時間や労力はかけるべき時にこれでもかというほどしっかり注入できてこそ、合理化や効率化が成せるのではと思ってしまう。
そういった“かけるべき時”の算出能力抜きに“効率化”という聞こえのいいフレーズに踊る危うさに、山下清の物語は警鐘を響かせているようにも思います。
清 には旅が必要だった。そしてそれを彼の中で咀嚼して、イメージの風物を生み出して、繊細に色を選び載せていく、そうしてこそ、否、そうしなければ世の中に 日の目を見ることのなかった彼の貼り絵の世界があるんだということを、【待つ時間】をはなから嫌いになっている日本人は、その【清のフィルターを通した待 つ時間】をもう一度眺めてみてもいいんじゃないだろうと想ったりもする。
仕事であれ、それ以外であれ、あらゆる“物語”を紡ぎ創出するには、そもそも『待つ時間』というものがかけがえのないことのように思えてきます。
そんな“山下清のフィルターを通った時間の物語”を想いながら彼の世界をのぞいてみるのもいいかもしれません。
東京では、師走の季節に出会えるようです。
http://www.yamashita-kiyoshi.gr.jp/index.htm
展覧会情報
2012年2月4日~3月4日 秋田アトリオン
2012年3月8日~3月20日 大丸 心斎橋店
2012年4月28日~6月17日 ふくやま美術館
2012年7月21日~9月9日 福井市美術館
2012年9月13日~10月21日 佐賀県立美術館
2012年11月1日~12月16日 大分市美術館
2012年12月27日~2013年1月14日 日本橋 三越本店