4月の風とストーリーキュレーション

2012年4月29日。快晴。

東京はようやく先週までのはっきりしない天気が落ち着きを取り戻して、5月へ向かうのに最適な気候を取り戻したような、今日はそんな日です。

5月に入ると、ぽつぽつと5月5日生まれの祖父のことを想います。
物心付いた時から、少年、青年期と日本のあちらこちらへと僕を連れまわしてくれた彼との様々なシーンとその場の空気を想い浮かべます。

それがだからどうしたという、なんということもないことです。なにかとりたててノスタルジック話に浸ろうとするわけでは毛頭ございません。

しかーし。取り立てて書くほどのことでもないような、【人であれば皆がしているであろう誰かや何かとの出来事や時間を想うこと】だからこそ、このテキストの冒頭に書いてみたというわけです。

感覚的に過去であれ未来であれ今であれ体験知としての【いつかの誰かを想うこと】【誰かのいつかを想うこと】を、人はずっと続けて生きてきているはずです。人が一人では生きていない限り、おそらく。

僕は、この種の【想う】こそが【物語】だと感じます。想像できるなにかが存在するものはすべて、現実社会で人が営む【物語】だと僕は思っています。この社会には、まだ気付かれない無数の【物語】があふれている。そう確信しています。

そんな認識に立ったうえで、過去・現在・未来と続く世の中に対して“まだまだ豊かでもっと創造性あふれる楽しい世の中になってほしい”、そうあたりまえのように思う一人間として、「物語」をキーワードにして発信していこうと考えました。

そのモノ、コト、ヒトの中にあふれるほど浮遊している無数の価値ある【物語】を、

①→あらためて≪発見≫して、意味を再考し、

②→それらの物語達を、整理し・組み繋ぎ・活性化してさらなる物語たちを≪再編≫する。

そして、③→あらたな物語を≪生み出す場を創る≫ことで、新しい視座・価値ひいては豊かさのイノベーションを世の中に提示する。

そんなことを現在具体的に体系化していろんな地域や場で進めています。

もともとは文化芸術世界の言葉で“キューレーター(Curator)”というのがあるそうです。美術館や博物館で企画や展示を行う専門職のことを指すといいます。この方々のされるキュレーションという作業は、

①既存の作品などの意味の問い直し、
②組み合わせて企画や展示として面白く、再構築する。
③そして新たな意味や価値、つまり世界観を顧客に提供する、とのことらしいです。

これを数年前に知った時に、僕がやっている・やり続けるべきだと考えていることはまさに【物語】をキュレーションすることだと思い至りました。

今まで僕が考えていたこと。つまり体験知が、異なる想いもよらないジャンルの言葉によって定型化されたと感じました。
これもセルフキュレーションとでも言うのでしょうか。自分の内面がキュレーションされ新たな役割を自身に客観的に提示できることになったと感じています。

いままでにない業種がどんどんと増えていくこれからの社会であると思います。僕らの次世代は50%以上が現存してない職業や生業を持つと思います。それくらいあらゆる構造や価値がごったがえしていくこれからが楽しみでしょうがないです。
いろんなハードコンテンツ、ソフトコンテンツが生まれるでしょう。想像を絶するダイナミックなものから、極々些細な日常を小さく変化せるものまで。このふり幅が目に見えるようで最高にエキサイティングに感じます。

既 に一年以上前から“ストーリーキュレーター”という新発生した仕事兼生き方が始まっています。まずは仲間と共にストーリーキュレーターとして世の中に貢献 する、そういう気持ちいい覚悟を共有しています。その過程で生じるあらゆる【物語的】モノコトを連ねるためにこのページを紡いでまいります。

story curator/ストーリーキュレーター   田中 孝幸