「心がある。心に在る」ということ

仕事の用事があって、新橋駅で山手線を降りた。ホームで頬を打つ風は、ほのかに暖かくなってきている。

階段を降りて、地下通路を汐留駅の方へ歩く。
地下のコンコースにはいつもながらの風景が広がっていて、東京都のコロナ感染者数も気にしないくらいになった今では、行き交う人々の数もそれなりの数になっていた。
マスクで表情がわからないのはあまり春には似つかわしくないな、そう思いながら歩いていると、イベントスペースに掲示された文字が目に飛び込んできた。

『東日本大震災風化防止イベント、3.11、つなぐ』の文字とピンク色のブースを見て、「そうか、3月なのだ」と気がついた。

もちろん3月に入っていることは知っていた。
しかし、震災の3月11日が近いことに私はここで気がついたのだ。
いや、正確には、「もうすぐ3月11日なのだ」と改めて意識をした、と書いたほうが正しい。

「こうやって気がつく人もきっと多いのだろうな」、と自分をなだめながら、その震災風化防止のイベントの効力も私は同時に味わったということになるのかもしれない。

しかしながら、3月11日を年中意識していることはもうほとんどない。
日々の日常の中では、ほぼ忘れていると言ってもいい。
そして時世のニュースや広報物でこうやって毎年3月に意識するようになる。

私もまた、その12年、つまり干支一回りという時間のなかで、多分にもれず12年という年月を過ごし、経験も環境も記憶も少しずつ変化していることを実感するのだ。

しかし、それはことさら嘆くでもなく、どこかに恥じるようなことでもないと感じている。

そんなことをポツポツと考えながら、比較的長い地下コンコースを横目にゆっくりと 歩いていると、ふと浮かんできた言葉があった。
「心がある。心に在る」
「こころがある。こころにある・・・」

歩きながら小さくその二言を声に出してみた。
妙に心地が良かった。

そう。日常とは、経験とは、時間とは、記憶とは、移りゆく自然でもあるのだ。
だからこそ人間は生きていけるのだとも思う。
ただ、私に一つだけ普通と違うことがあるとすれば、3月11日が近いことは忘れていても、私にはいつも「心に在る」ものがあるということだった。

それは「風景」とでも言おうか・・・。
三陸、東北の地に植わった、そしてそこで枯れた、まだそこで育つ桜のこと。
そしてそれ以上に、その桜の周りの人々の日常や集落のこと。
桜を取り巻く風景がいつも「心に在る」のだ。

仲間や家族や、本当に大切な人のことは、ほとんど四六時中意識をすることはないだろう。が、どこにいようが、それが生きていようがいまいが、いつも「心に在る」 感覚はきっと在る。
それは全世界全人類が共有できる「共感」の能力の為せる技であって、誰しもが「わかる」感覚なのかもしれない。
そんな感じに似ている。

皆に等しく12年の時が流れ、自らも周りの環境も変わっていく中で、それでも「心に在る」ことを僕たちは続けてきたのかもしれない、と東京の街中でふと想った。

12年前。この桜onプロジェクトでも、当初から「そんな瞬間が未来に在れ」と願い、よく「思う」に「想う」の字を当てていたものだった。

「心に在る」ものは消えないで在る。
心に在る。心で想う。

何かをすぐに生産するわけでも、願いを叶えてくれるわけでもない。
何かに役立つこともなく、特段誰かのためになるとも思わない。
だからこそ純粋なものでもある。
それらがいっぱい「心に在る」のだ。

あの震災の後、そういうものをできる範囲で紡ぎなおそうと12年前にこのプロジェクトを始めた。この国の文化には桜という植物があり、それをマイルストーンとしてたまたま選び出しただけなのだ。

「心に在る」それらを、私たちは今も「物語」と呼び続けている。
12年が過ぎて「心に在る」ものがしっかりと「物語」になっていた。

「心に在る」ものを持つ全ての人たちと、これからも語り合えることを楽しみにしている。

いくら何でも長いので、12年目の節目はこんなところで。

田中 孝幸