雑感 秋2017
この世の中に生を受けて1年ほどの桜の苗木を、いろんな土地でいろんな人々と植えてもう6年になる。
いろんなことが変わったな、と感じる。そう、いろんなことが。
でもそれは決して“変わらないこと”を妄信的に賛美しているわけでもない。
むしろその逆で、“変わっていくのが自然の理”で、変わらないほうが不自然ですらあるように感じる。
変わらない美学のどこかむず痒さや、変わらないことに隠喩する正義感や、そこに張り付いているどこかセンチメンタルな気配も、それらすら変化していく。
変化の速度が比較的極端に遅いものはたしかに存在する、桜や木々の成長も然り、しかしながら変化しないものなどほとんどないように思う。
だからこそ、年月とともに存在したもの、生きているものは尊い。
大げさな尊さではなく、ただ単に、尊い。
恥ずかしさを承知で言うなら、 愛しい、に近いかもしれない。
力を入れずに、スピードの速遅に関わらず、“変化を眺められる”ことは、きっと“愛しさ”につながっている。
この桜のプロジェクトも、発端はたしか、仲間たちのそんな想いの集まりから動き出したと記憶しています。
そして、それは6年を経て、そのあいだの変化も鑑みて、確信に変わりました。想いは間違っていなかったな、と。
写真は、この春に咲いていた、宮城県の寒風沢に咲く2本の大島桜です。僕らが島に出会うずっと前から咲いている桜です。
時が止まったように美しい桜も、生きている以上、今この時も変化しています。
だから、シャッターを切りました。
これからも変化を愛でながら、変化していく各地の桜と人々と風景をわたしたちは脳裏に記憶していくでしょう。
花の命を絶って活かそうとしている生業を持つわたしが、もっとも好きな花である桜を植えることの大きな意味のひとつは、そんなところにあるのかもしれません。
さてさて、植えた桜たちと、出会った人々と風景は、これからもどう変わっていくのでしょうか。
秋口にふとおもいました。
タナカ