『遠い桜』に誰かを想うこと

去年の春先のことです。朋輩の結婚式に出てからイギリスに戻る日に、荷物が多かったので空港までタクシーに乗りました。ドライバーは曲田さんといいました。
首都高に乗る手前のある公園に桜が咲いていました。ふと曲田さんは生まれ育った横須賀の、遊び場だった少し高台の丘の上に咲いていた桜の話をポツリと始めました。
『まだガキのころ、自衛官だった親父が帰ってくる海の先をね、丘の上の桜の下に座ってずっと眺めていました。いまそんな遠い昔の記憶がふぅっと蘇ってきたんですよ。』
『今日はなんだかいい日ですねぇ。親父となんてずいぶん話もしてなかったなぁ。なんだか気恥ずかしいですがあとで電話でもしてみますかねぇ。』
イギリスの空港について、またタクシーに乗りました。ドライバーはマークといいました。話好きの運転手が多いのは日本でもイギリスでも同じです。
ひとしきり世間話をしたあとでマークがいま日本はどんな季節か?と聞くので、暖かくなり桜が満開できれいですよ、と答えると、思いがけない話が飛び出してきました。
『祖父が遠い昔にロイヤルネイビーの一員として日本を訪れたそうでね。子どものころに祖父からいやってくらい何度もその話を聞いた。立ち寄った港の傍らに満開のチェリーブロッサムが咲いていて、それは見事だったって。』
『君と話していたら久しぶりに祖父のことを想い出したよ。こりゃ孫にお土産でも買っていってやるかな。今日はいい日だ、ありがとう。』
ある春の日に、遠く離れたふたつの国で、たまたま乗った2台のタクシーの中で、ふたりの男が『遠い日の、遠いところにある桜』に父を、そして祖父を想いました。
今日はいい日だ。いみじくもふたりはこう言いました。長い人生の中で、たまたまなにかの拍子に誰かを想うことでなんだか心がじんわり温かくなる。そんなことを感じていたのかもしれません。
なによりも今日、僕自身がこの季節に遠く離れた日本の春に咲く満開の桜の向こう側に誰かを想いうかべて、しみじみと心が豊かになっています。
いみじくも3月11日は4年前の今日から特別に誰かを想う日になりました。願わくは時が経ち心安らかにその誰かを想うことのできる時間がいつかすべての人に訪れますように。
まだまだ時間が掛かると思います。あのときに植えた小さな桜の苗木は、同じ時間を掛けてゆっくりゆっくりと大きくなっていきます。掛かった時間の分だけ樹木が成長するように、土地も人も未来に向かいます。
共に生きよう。
今はまだ小さな桜がそう言っています。