前略、プロジェクトの軌跡 vol.1 ~2013.3.17 石巻ワタノハノ庭(前編)~

「いま、思い出した。ここにキンカンの木が植わってて…」。老婦人は、かつてはそこに存在したはずの、今はもうなくなってしまったキンカンの木や、それにまつわる話をしてくれた。

そこは、何もない土地だった。いや、松の木が2本、生えているだけの土地だった。少なくとも私にとっては…。

「石巻の友人でもある三国商店の三国くんちの、流されてしまった家に庭をつくりにいくんだけど、来てみないか?」。大学時代の友人であり、「桜onプロジェクト」代表でもある田中孝幸から、二人で飲んでいた際にそんな話を持ちかけられた。彼が何回も東北に足を運んでいるにも関わらず、震災後に何かしようと思いながらも結局、何もできずにいた自分に少なからず劣等感を抱いていた私は、少し考えた後に、今回のプロジェクトに、いちツーリストとして参加する意思を伝えた。しかし、休日を返上し、わざわざ交通費、宿泊費を出してまで行く必要が果たしてあるのか、と思ったのもまた事実である。

さて、プロジェクト前日の土曜日、私は10時50分新宿発の高速バスで仙台に向かった。仙台に到着したのは、予定時刻を遅れること15分の、16時35分。16時41分に仙台発小牟田経由、石巻への電車に乗る予定だったのでかなり焦ったが、強風のため電車が遅れていたこともあり、電車はまだ出発していなかった。その後、その電車の出発も遅れ、最終的に石巻に到着したのは、18時25分。新宿を出発してから7時間35分、ようやく目的地である石巻に到着できた。7時間といえば、ハワイまで行けてしまう時間である。2

長距離バスと電車でくたくたの自分を待っていてくれたのは、桜onプロジェクトの3人。田中、吉田さん、羽永さん。彼らは、私以上に疲れていた。というのも、翌日のツアーのために、仕込みを行っていたからだ。聞くと、土を耕したりなどしてからその足で私を迎えにきてくれたという。そんな彼らの前で、疲れたと言うことは出来なかった。

その後ホテルに到着し、明日の主役でもある三国さんと合流する。私より2〜3年上に見えたが、話してみると同じ年だという。合流後、食事に向かった。

「乾杯!」。プロジェクトメンバーとともに、杯を交わす。「うまいねー!」。上手そうにビールを飲む、メンバーたち。一方、私は疲れているにもかかわらず、彼らほどビールをおいしく味わうことが出来なかった。

一夜明けてツアー当日。6時半に起き、朝食後、車で三国商店へ向かう。ホテル周辺は被害がそんなにない地区だったという事もあり、震災の影響はそんなに感じなかったが、車を走らせるに連れ、徐々に震災の様子が色濃くなっていく。震災後2年が経過したということもあり、東京にいると震災の記憶が徐々に薄れつつあるが、現場を見るとまだ完全復興ではないということを実感する。それが人の心ならなおさら、そうであろう。

三国商店に到着。工場は想像していたよりも広く、そしてきれいだった。そこへ、昨夜と同じ格好の三国さんが笑顔で出迎えてくれた。「じゃあ、行こうか」。合流後、いよいよ三国さんの庭へと向かう。工場から車で2〜3分程度で到着。

3「ここにどうやって庭をつくるのだろう」。これが私が庭を見たときの初めの感想である。松の木が2本生えてはいるが、それ以外はかつてここに家があったとは、とうてい想像できない土地であった。

そんな私の気持ちとは関係なく、田中たちプロジェクトメンバーは庭作りに向けて淡々と準備を始める。疑問は消えなかったが、とりあえず彼らの指示に従うことにした。

(前編終わり。後編に続く)

text_Takashi Sasaki