2013年1月、マンチェスターの男
1月のイングランド、マンチェスター。
サッカー選手としてではなく、自身が企画した旅の添乗員として。
鴨下大輔、彼と出会ったのは宮城県牡鹿半島で桜の森を創るプロジェクトがきっかけだった。
しかし結果として、関東からのボランティア有志をまとめ牡鹿半島へ引率し、諸々の調整に尽力してくれたことで、このプロジェクトはスタートを切れた。そう感じている。
その牡鹿への旅が終わった後、彼が記してくれた彼らしい文章がある。
《自分は納得感が得られないことにはあまり、労力と時間をかけない人間だ。正直、最初は『引き継いだ仕事』それ以上でもそれ以下でもなかった。もちろん、最低限の責任は果たすし、プロとしての心意気とスキルでこの案件に臨むつもりだった。とにかく、大前提として自分の仕事で東北に少しでも貢献出来るということに納得したからだ。
鴨下氏が「引き継いだ仕事」を自身の特殊な能力で“ジブンゴト”に変換して、進めていく過程であっても、全てがそうすんなりと動いたわけではもちろんない。
ただ、僕らのプロジェクトとご縁いただいてからも鴨下氏の注力や行動には救われたし、彼のジブンゴトの思いに裏付けされていなかったらこのプログラムはきっと日の目を見ることはなかっただろう。今でもそう思っている。
さらに、手記には彼の衝動にも似た想いがこう記されてあったことを僕は覚えている。
《・・・早速、『桜on三陸プロジェクト』と打ち合わせの機会を設定させてもらうと、プロジェクトの発起人である田中氏の話を聞くことになる。彼は(自分と違って)情熱を前面に押し出すタイプで、それが新鮮であり、羨ましくもあり、暗中模索な状態からこのあたりで『いっちょやったるか』とハラヲククルスイッチとなった。》
僕と彼自身とのタイプの違いへの分析と彼の意識がそこには記してあった。そして、それが彼に“ハラヲククルスイッチ”を芽生えさせたのだと。
彼はもともと【覚悟を持てる、腹のくくれる人間だった】のだと思う。
そして、彼自身がこれまでの人生の中で【その腹をくくることが自身を行動へと駆り立てるスイッチ】だということを経験上よく知っていたに違いないと。
幼い頃から、サッカー少年で、大学でもサッカーを続け、社会人になった今でも彼の日常においてサッカーはなくてはならないものになっている。
好きなものへの執着と標準を、それに関わりのないどんなジャンルにでも応用できる能力は、世に生きる人にとってうらやましく映ることすらある。
しかし、彼を見ていると、その好きなものへのエネルギーとモチベーションを異なるジャンルにでも活かすことができるのだという事実をはっきりと確認することができる。
好きなサッカーへのモチベーションを、異ジャンルにも平行移動して応用することが日常化されているのだ。だから腹がくくれるのだ。
その能力を会得するきっかけはどこにあるのか。
好きな物が心底自覚できている人が実際にどれほどいるだろうか?
そして往々にして腹をくくれる人の生み出すものは豊かで面白い。
ソーシャルメディアを通じて見る彼からのマンチェスターの写真には、「俗にいう仕事の枠を逸脱しているほど」、とコメントする人がいるかもしれない。
だとしても、自身の好きなことの為に、そのエネルギーやモチベーションを自由自在に異なるジャンルへも適応させて、仕事を創り、楽しんでしまうその能力は、きっと誰もが羨望の眼差しで眺め、手に入れたいと願う能力であることは確かな気がしている。
好きなものに敏感であること。好きなものを知っていること。その好きを外に出し適応させていくこと。
そうして身体の中に重要なこの“ハラヲククルスイッチ”を有する人が少しでも増えていったなら、きっと、その身体能力は世の中の動きをもっともっと面白く豊かに加速させていくはずだ。
まもなく自身が創ったチームと共に成田へと降り立つ彼に、「お疲れさまでした」と同時に、長く細やかな賛辞を贈ろうと思っている。